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■宝生の歴史
明治18年

十六世宗家宝生九郎知栄の片腕とよばれた松本金太郎が、
神田猿楽町にささやかな稽古舞台をつくる。

明治19年 「温故会」と命名、発足。
翌20年 「松本稽古会」と改名、宗家も出演するようになる。
明治26年 舞台の改築を機に、「宝生会」と改名。「宝生会」の誕生。
明治45年 社団法人として登記される。
大正 2年 当時としては東京一を誇る絢爛な「宝生能楽堂」が、神田猿楽町に完成。
大正12年 関東大震災により、宝生能楽堂焼失。宗家邸宅も焼失。
大正13年 松平頼寿旧邸跡地が提供される。(現在の宝生能楽堂の地)

昭和 3年

前田候・松平伯をはじめ、安田・三輪の財閥の協力を得、この地に「宝生会館能楽堂」が完成。
五流を網羅できる代表的な能楽堂として、その豪華さも語り草となる。
四月一日より宗家の「翁」を皮切りに舞台披きが盛大に催される。
昭和20年 第二次世界大戦の大空襲により、またしても焼失。
昭和21年 月並能が復活し、「五雲会」が創始される。
昭和25年 1年半にわたり、全国の流友に流債を募り、宗家父子も全職分協力して、
「水道橋能楽堂」と呼ばれた舞台がめでたく再建を果たす。
昭和53年 現在の宝生能楽堂が、その後の四半世紀にわたる全国流友の多大なる
寄付と宗家の献身的な協力が一丸となった成果として、堂々の完成に至る。


■宝生流の歴史
奈良時代以前 中国大陸より「散楽」が輸入され、やがて「猿楽」となる。
鎌倉時代 「座」と呼ばれる集団が形成され、寺社との結び付きを深めていく。
室町時代
(初期)
観阿弥・世阿弥が登場。足利義満の保護を受け、能を形成。
(中後期) 中後期:大和四座と呼ばれる外山座(とびざ、後の宝生流)・結崎座(ゆうさきざ、後の観世流)・坂戸座(さかどざ、後の金剛流)・円満井座(えんまいざ、後の金春流)が生まれ、能が大成される。
江戸時代
(初・中期)
加賀前田藩が代々宝生をたしなみ、加賀宝生という言葉も生まれる。
他に「南部宝生」、「佐渡宝生」、「会津宝生」、「久留米宝生」など各地に宝生流の
盛んなところあり。
(後期) 11代将軍家斉に特別に愛好される。弘化5年江戸期最大といわれる宝生勧進能が
神田筋違橋御門外にて15日間張行される。
明治初期 武家階級の滅亡と同時に、能役者も扶持をはなれ苦難の時代を迎える。
その後、徳川家に従い静岡へ移住していた松本金太郎が神田猿楽町へ戻り、
ささやかな宝生会の礎を築くことになる。


■宝生家系図
宝生流の初代宗家は、観阿弥の長兄にあたる「宝生大夫」です。(世阿弥作「申楽談義」より)
平成二十年四月、十九世宝生英照の長男和英が二十世宗家を継承いたしました。

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